「故早山清太郎墓」。

(あしあと その310・北区の20・篠路の14)

龍雲寺の境内の「故荒井金助直盈之墓」の左側に並んで建てられたお墓が、荒井金助の求めにより篠路の礎を開き、荒井が函館に移った後を引き継いで篠路村の発展に貢献した早山清太郎が眠る「故早山清太郎墓」です。

札幌軟石の墓石の正面には、大きく「故早山清太郎墓」と刻まれ、墓石の下には「早山」家の家紋が刻まれています。左側面には「先祖代々 清太郎(以下不明」、背面には「大正八年七月建之 早山勘之進」と刻まれています。

また、墓石の右側面には、早山の略歴が漢文で刻まれています。それはおおむね次のように記されています。

「故早山清太郎盤城国白河郡米村産幼不覊獨立富精神嘉永年間来(不明)萬延元年居ト篠路精励開墾向擧開拓使掌地理案内者膺任諸方採検嘉納札幌神社宮地開山選定東麓其他至札幌篠路以通路一綫小徑夛曲折不便誘道村民自従事開鑿札幌篠路間益便大交通之開拓使賞功下賜金子壹萬匹翌年黒田次管賜賞状明治十四年八月明治天皇北海道御巡業之際於札幌豊平館付仰拝謁得榮〇尺天顧而左大臣熾仁親王殿下賜賞状清太郎生涯立開墾耕種勧農移民以奉公任己明治四十年八月齢九十一歳一期卒大正七年當擧開道五十記念式追彰其功績為記念贈呈銀杯壹箇現代勘之進宜哉今日於地方人乎不問面識之親疎至賞其徳慕其名今三代勘之進氏以建設碑蓋志誠之所在乃将擬追孝一助而己矣予有由緒之存因應需撰焉 俊 霊愿識」

早山は、篠路村の開祖と言われており、篠路札幌間や篠路茨戸間の道路を開鑿したり、札幌元村の開村や、札幌神社の宮地の選定にも意見したといわれています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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