「新選組隊士永倉新八来訪の地」。

(あしあと その404・北区の26・北大周辺の4)

北海道大学の正門から少し北に寄った歩道上にレリーフがはめ込まれており、それには誠に浅葱色のダンダラが染め抜かれた新選組の隊旗と日本刀が一振り象られています。

その脇には、「新選組隊士永倉新八来訪の地」と記された小さな説明板が立てられています。

説明板には、

「新選組隊士永倉新八来訪の地

旧幕臣・新撰組副長助勤・永倉新八(天保10年=1839年=4月11日生まれ)は、徳川幕府崩壊後は杉村義衛と改名して大正年間まで生きた。有名な京都池田屋戦のときは幕府から感状をうけるなど抜群の働きをした。

土方歳三、沖田総司と並ぶ剣客。晩年は北大剣道場などで剣道の型を指南。各地を歴訪するなど悠々自適の生活を送った。「武士乃節(もののふのせつ)を尽くして厭(あく)まても貫現竹(つらぬきたけ)の心一筋(こころひとすじ)」の歌を残して、大正4年(1915年)1月5日、小樽の自宅で行年77歳を一期にその劇的な生涯の幕を閉じた。

新八ゆかりの道場は現北大本部北西に位置していた。」

と記されており、その下に「札幌における晩年の新八(前列中央)」と題された白黒写真があります。そこには、杖を携え白髭を蓄えたかくしゃくたる老人が座っています。

永倉新八は、松前藩江戸定府取次役の次男として生まれ、その後脱藩して剣術の腕を磨きながら、近藤勇の道場である試衛館の食客となります。そして新選組の中枢幹部として数々の武勇伝を残しますが、新政府軍に敗れてからは松前藩への帰参が認められて小樽に移住。道内で樺戸集治監の剣術師範や北大剣道部の指導に当たりました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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