「札幌平岸林檎園記念歌碑」と副碑。

(あしあと その465・豊平区の57・平岸の14)

平岸にある天神山の中腹に広がる天神山緑地。その散策路をたどっていった一角に、「札幌平岸林檎園記念歌碑」が建てられています。本碑の前に置かれた白御影石でできた銘石には、「札幌平岸林檎園記念歌碑」と刻まれています。

自然石で造られた本碑には、黒御影石の石板がはめ込まれており、そこには、

「石狩の都の外の 君が家 林檎の花の散りてやあらむ 啄木」

と、石川啄木が詠んだ短歌の一首が刻まれています。この歌は、啄木が函館市内で教員生活を送っているときに知り合った橘智恵子という女性を想って詠んだものだそうです。

さらに、碑の右側手前には黒御影石の石板が置かれ、それには

「明治四年曾父・父らこの地に入り森を伐り林を焼き麥粟稗を蒔く翌五年北海道開拓使の輸入せる林檎苗木を植林同十四年一果をなし日本林檎栽培の黎明を告ぐ

爾来この地の林檎栽培は年を追って殷盛平岸地区にて二百八十余町歩量産二十五万箱を数う日本林檎の一大産地となり京濱阪神はもとより海波のウラジオストック・シベリヤ・樺太・上海南方シンガポールにその販路を拡ぐ

大地にはりつきしぶとく四方に張る老樹の枝そつ節々の瘤を傷痕それはたえまなき自然の暴威に耐えし樹の記録であると共に先駆栽培者百年年の苦闘を物語る

されど村の中央を貫流せる疎水もなくいぶし銀のごとき花影、秋陽にきらめく果実の枝も残り少く地域一帶は住宅街と化し世人に謳われし北國の詩情も偲ぶにとゝまる

使命おわり歴史のかなたに消ゆるものこしてもなお心つきぬよって栽培者集いてはかり明治四十年札幌を訪れのち東京に居て遠く林檎園の夏に思いをはす歌人石川啄木の歌一首を碑に刻し往時を記念する

札幌平岸林檎園記念歌碑建設委員會 昭和四十一年十月二十三日」

と刻まれています。

碑の左側には、「札幌平岸林檎園記念歌碑保存会員芳名」と刻まれた小さな石板が建てられており、そこには多くの氏名が刻まれています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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