「報恩」碑。

(あしあと その503・厚別区の9・上野幌の2)

社会福祉法人報恩会の敷地の一角の並ぶ碑の一つが、珍しい円形の札幌軟石で造られた「報恩」碑です。不規則な形状の石が積まれてできた台座の上にのせられた碑の碑面には、「報恩」の二文字が刻まれています。

碑の背面はひび割れが目立ちますが、

「九一父を九助母をくにといひ世々屋號を鹿島屋と稱へ綿太物を業とせり九一明治十一年一月二十四日信州松本町に生れ九歳の時母病死し翌年父も亦病歿す此時妹きよ弟庄三と同胞三人は忽ち悲運の窮極に陥りたれは相抱きて涕泣せり斯くて九一は十歳より松本町紙商島屋太平氏方に丁稚奉公をなし勤續十三年に及ひ辞して明治三十三年五月單身本道に移住せり爾後山田有斌園田男爵両家の恩顧を蒙り空知支廳岩内支廳北海道廳に歴任し更に赤十字社支部愛國婦人會支部に轉勤し明治四十一年十二月一日本道に廳立感化院の創設せらるゝに當り九一は同院主事に妻スミは助手に採用せられ九一は更に大正三年四月一日を以て院長を命せられ以て今日に至れり

回顧すれは無學不徳の一孤児か渡道以来十五年を順境に經過し小池家を復興し得たるは是れ偏に 天恩地恩君恩國恩親恩師恩友恩の賜にして感謝措く所を知らす時偶々  今上天皇陛下御卽位奉祝の歳に際會し加ふるに両親歿後三十年に當るを以て茲に夫婦丹精の報恩貯金と衣類器具の一部を賣却して得たる資金とを以て此土地六段六畝二十歩を購ひ中央に小園を設け〇石を維持園となす規模甚た小なりと雖も就て休憩せらるゝ人あらんには九一の本懐之に過きさるなり

大正四年八月六日建之 小池九一謹誌」

と刻まれています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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