「山上憶良歌碑」。

(あしあと その560・厚別区の16・厚別の11)

信濃神社の境内に建つ白御影石でできた碑が「山上憶良歌碑」です。コンクリート製の台座の上に、白御影石で組まれた台座が載せられ、さらにその上に白御影石でできた石板が建てられています。

碑面には、「山上憶良 しろかねも くかねも玉も何せんに まされる宝 子にしかめやも」と刻まれています。

台座の正面には黒御影石の石板がはめ込まれ、そこには「七生報國」と刻まれた左側に、「〇軍〇將〇爵〇〇〇夫書」と添えられていますが、その大部分が削られてしまっていて判読できません。

碑の背面には削られて整えられた凹みがあり、何らかの文字が刻まれているものと思われますが、高いところに位置しているうえに碑と同化してしまっているため、判読することができません。

碑の台座の背面にも、正面と同様に黒御影石でできた石板がはめ込まれ、そこには、

「故陸軍歩兵伍長功七級勲八等鷲田光彌當ニ一歳 支那事変ニ出征昭和十四年八月二十二日 満蘇國境ノモンハンノ激戰ニ於テ名譽ノ戰死

爲追善父鷲田彌太郎寄贈之 昭和十五年五月」

と刻まれています。

この碑には山上憶良の歌が刻まれていますが、この歌の意味は、「銀や金や宝石は宝物だけれども、一番大切な宝物は子どもではないか」という意味であり、台座に残された碑文をみても、遠く異国の地で戦死した愛する我が子を供養するために父親の手で建てられた慰霊碑になります。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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