「頌徳碑」。

(あしあと その561・厚別区の17・厚別の12)

信濃神社の境内に隣接する信濃小学校の敷地との境界に、大きな石板でできた石碑が建てられています。高さが4メートルほどもあるこの碑は「頌徳碑」です。

碑面の上部には、篆刻で「頌徳碑」と浮き彫りにされ、その下には漢文で次のように刻まれています。

「河西由造翁ハ弘化ニ年七月信州上諏訪ニ生ル少壯東都ニ出テタルモ深ク時勢ニ感スル所アリ奮然北門開拓ノ雄心ヲ懐キ明治十六年四月三十九歳ノ時同郷ノ者數名ト共ニ此地ニ入植ス鬱蒼タル密林ノ中ニ率先開墾ノ業ニ從ヒ具サニ辛酸ヲ嘗ム後頻リニ各地ヨリ人ヲ招徠シ遂ニ一大部落ヲ形成ス名ケテ信州開墾地ト謂フ今ノ白石村字厚別即チ之ナリ翁ハ夙ニ衆望ヲ擔ヒテ村總代収入役官幣大社札幌神社造営會委員村農會長等ノ公職ニ携リ又信濃小學校及信濃神社ノ建築或ハ厚別驛設置ノ如キ公共事業ノ爲私財ヲ擲テ惜マス賞勳局其他ヨリ表彰セラレシコト枝擧ニ遑アラス明治四十四年七月病ヲ以テ歿ス時ニ年六十有七擧村哀悼空前ノ盛儀ノ裡ニ葬ラル翁ハ資性謹嚴思慮周密専ラ勤儉ヲ重シ郷黨ヲ愛撫シテ誘掖至ラサルナシ隣保協睦ノ美風今ニ遣レルハ畢竟翁カ薫陶ノ賜ニ外ナラス嗚呼偉ナル哉徳行ノ力茲ニ有志胥謀リ碑ヲ建テ翁カ勳徳ヲ勵シテ以テ後昆ニ傳フ

昭和十三年五月 北海道帝國大學教授正四位勲二等農學博士中島九郎撰竝書」

碑の背面には、建設委員として委員長及び委員を務めた11人の氏名が刻まれています。

碑面に刻まれているように、この碑は厚別地区を開拓した河西由造氏の功績を讃えるために作られました。信州上諏訪に生れた氏は、東京に移った後、蔵前で米穀商を営んでいましたが、札幌で商売をしていた同郷者から誘われ、意を決して渡道すると厚別に入植しました。その後郷里から人を招いて開拓に勤しみ、現在の川下の一部と厚別東・厚別中央・厚別西の一帯を拓きました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000