(あしあと その624・東区の13・苗穂の1)
豊平川に架かる国道12号の東橋を渡ってからJR方向に進み、苗穂丘珠通に右折してアンダーパスをくぐると、すぐ右手に大導寺があり、その境内の一遇にひっそりと石碑が建てられています。
石碑の碑面には、「札鐵苗工製罐職」まで読み取れる碑銘が刻まれています。「さっぽろ文庫45 札幌の碑」によると、この碑は「札鐵苗工製罐職場殉職病没者碑」だそうです。碑銘の後半はセメントで塗りつぶされているか、または風化して文字が判読できなくなっています。碑の右側面には、「世話人」としてイロハ順に多数の氏名が刻まれていますが、これも下半分が判読できなくなっています。
碑の左側面には「発起人」の氏名が刻まれていますが、これも同様に下3分の1が判読できません。
碑の背面にも8名の氏名が刻まれており、やはり下部の文字が判読できなくなっています。総じて、石碑の下約3分の1の部分の文字が、セメントで塗りつぶされているか、または風化して判読できなくなっています。
この碑は、大正9年に、国鉄苗穂工場新生会という職場の親睦団体が建立したものだそうです。苗穂工場は、明治42年に、鉄道院札幌管理局札幌工場として開かれ、現在もJRの車両製造工場として稼働しています。製罐職場とは、国鉄苗穂工場のボイラー製造担当部門を指すものではないかと思われます。
大導寺は、寺号公称は昭和8年ですが、大正5年に苗穂に説教所を創設しています。工場の隣接地にある縁があってこの石碑を境内に安置し、工場での殉職病没者を慰霊しています。
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