(あしあと その626・東区の15・光星の2)
東区北10条東11丁目のななめ通に面して、古刹大覚寺の境内が広がっています。東向きに建てられた道内最大と言われる山門をくぐって左手の境内の奥まった一角に、二基の石碑が建てられています。
向かって左側にある、台座の上に乗せられた巨大な自然石で作られた碑は、「長谷川保君殉職之碑」です。碑面には、大きく「長谷川保君殉職之碑」と刻まれ、その左側に「札幌鐵道局長 気駕高次 謹書」と添えられています。
碑の背面には、
「大正十五年十二月十四日建之 札幌鐵道局管内職員有志者 札幌石工(略)」
と刻まれています。
台座の正面には、
「時維(ときにこ)レ大正十五年八月十四日鐵道局技手長谷川保君札幌機關庫在勤機關手トシテ乗務シ張碓錢函間ノ一曲線箇所ヲ通過スルヤ突如一列車ノ變(変)有リテ停止シ前途ヲ壅塞(ようそく)セルニ遭フ事倉卒(そうそつ)ニ出テテ距離短キニ失シ危機迫リテ目睫ノ間ニ在リ而モ君死ヲ決シテ職ヲ守リ身ヲ抛(なげう)チテ任ニ當ル一瞬ノ後追突脱線汽罐破レテ身熱湯ヲ蒙ルト雖モ君ノ努力其ノ効ヲ奏シ客車全クシテ乗客千餘悉ク安キヲ得タリ然シテ君氣息奄々ノ中尚ホ任ヲ忘レス蹌踉トシテ客車ヲ問慰スルコト數次乃チ仆フル翌遂ニ逝ケリ時ニ年二十六當路ノ大臣效績(こうせき)章ヲ贈リテ之ヲ彰ス其ノ文ニ謂フアリ曰ク其ノ職責ヲ重シタル勇敢ナル行為ハ洵(まこと)ニ一般職員ノ儀表(ぎひょう)タルニ足ルト嗚呼君資性敦厚服勤精勵生キテ範ヲ僚友ニ示シ職守難ニ殉シテ千古ノ儀表トナル我等茲ニ碑ヲ建テ功ヲ勒シ以テ景慕ノ誠ヲ致シ後昆ニ傳ヘテ以テ興起スル所タラシメント欲ス」
と刻まれています。
大正15年に発生した鉄道事故は、乗客千人余りを乗せた張碓銭函間を走行中の機関車が落石に阻まれたものでした。当時乗務していた長谷川保機関手の機転によって大惨事は免れましたが、長谷川青年は破裂した汽缶の熱湯を浴びて大火傷を負い亡くなりました。自ら重傷を負い息も絶え絶えとなりながらも乗客を慰問し、その職責を全うした長谷川青年の功績をたたえ、仲間の手によってこの碑が建てられました。
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