(あしあと その883・北区の104・茨戸の3)
茨戸にある大きなホテルへと向かうアプローチの途中に置かれているのが「川端麟太句碑」です。
自然石でできた碑の碑面には、「のぞみありて 庶民の帽の 青きひさし 麟太」と刻まれています。
碑に向かって右手に黒御影でできた副碑があり、碑面には
「川端麟太略歴
川端麟太は、大正八年一月十六日札幌市に生まれた。本名 川端末泰
北海中学校在学中より実兄に句洗の手ほどきを受け俳誌「暁運」にて句作の〇に入る 昭和二十三年三月 これまで関係せる一切の俳誌の同人を辞退し、細谷源二を中心に山田緑光らと「北方俳句人」創刊。後に「氷原帶」と改題後編集人。昭和四十五年十一月、細谷源二死亡により代表を経て主幹となる。この句碑の「のぞみありて 庶民の帽の 青きひさし」は第一句集「庶民の帽」の代表作である。北海道俳句協会常任委員 現代俳句協会々員 北海道新聞俳壇選者」
と刻まれています。
また副碑の背面には、「氷原帶俳句会他有志一同 昭和五十八年六月二十六日建立」と刻まれています。
碑の脇には説明板が立てられており、そこには
「川端麟太句碑
「のぞみありて 庶民の帽の 青きひさし」、川端麟太は、庶民のうたごえとしての俳句をめざし、豊かな庶民感覚を盛り込んだスケールの大きい作品が多い。この作は、一生懸命働いている人の様を歌ったものであると言われている。」
と記されています。
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