「寄宿舎跡の碑」。

(あしあと その898・北区の112・北海道大学の18)

「都ぞ弥生歌碑」から道なりに、さらに北西方向に進んでいくと、右手の森林の中に自然石でできた石碑が建てられています。これは「寄宿舎跡の碑」です。

碑石は日高産の輝緑凝灰岩で、碑面には「恵迪吉従逆凶惟影響」と刻まれていて、その左脇に小さく「琢堂書」と添えられています。

台座の正面には黒御影の石板がはめ込まれていて、そこには寄宿舎が建てられた経緯が次のように刻まれています。

「寄宿舎跡ノ碑

明治九年札幌農学校開校ニ当リ北一条西二丁目ニ寄宿舎開設セラル 校舎ノ移転ニ伴ヒ寄宿舎モマタ明治三十八年春北十一条西七丁目ニ新築移転ス 明治四十年舎名ヲ惠迪寮ト定メ農学校ノ大学ヘノ改組ヲ迎フ 昭和六年末コノ地ニ再移転シ昭和五十八年新寮舎ノ開設ニヨリテ開寮解体セラル コノ間櫛風沐雨ノ星霜百有余年幾多有為ノ人材ヲ育ミタリ 時ハ変改スルモ寮生ノ友情ト哀歓ト古往今来相ヒ同シ 内ニ本学創業ノ意ヲ秘メ外ニ校風仲張ノ枢ト為リ平生飛動ノ意ナキ能ハス 発シテハ寮歌トナリ明治四十年以来作リ継クコト七十余年 林間ニ寮歌ノ歌声絶ユルコトナク中ニ就キテ都ソ弥生ハ本学ノ代表歌トシテ全国ニ知ラル 碑前西ニ彫リシハ舎名ノ出自タル書経ノ句ニシテ農学校一期生本学初代学長佐藤昌介ノ書蹟ナリ 昭和五十八年九月之ヲ建ツ

教授 水野一 撰 学長 有江幹男 書」

台座の背面には、「設計施工 (有)総合石材店」と氏名、その下に「昭和58年9月建之」と刻まれています。


由来に書かれているように、碑面の漢文は書経の一節から採られており、「迪(みち)ニ恵(したが)フトキハヨシ 逆(さかしまなる)ニ従フトキハ凶(わろ)シ コレ影響(かげひびき)ノゴトシ」という読み下しになるそうです。揮毫したのは初代学長を務めた佐藤昌介氏で、琢堂は佐藤氏の雅号になります。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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