(あしあと その186・東区の1・中沼の1)
東区のさとらんどから中沼に入って道なりにしばらく進むと、右手にモエレ沼公園の人工山を背景にして碑が建っているのが見えます。
道路から車止めの鎖が掛けられた敷地の奥に、広々としたコンクリートの台座の上に「記念碑」が鎮座しており、その左側には「モエレ沼」と刻まれた石柱が建てられています。これが、さっぽろ文庫45「札幌の碑」の中で中沼開拓「記念碑」として紹介されているモエレ沼「記念碑」です。
石碑は黒御影石で作られており、「記念碑」と大きく刻まれたその下に、「札幌市長 板垣武四」と記されています。また石造りの台座の正面には、これも黒御影石で作られた石板がはめ込まれており、それには
「水田発祥の史
大正2年 造田潅漑
昭和12年 自作農創設
昭和14年 中野農事振興組合結成
昭和31年 自創20周年記念式擧行
昭和37年 札篠土地改良区に加入揚水施設拡大
昭和45年 国による生産調整
昭和48年 市街化により止むなく断水
昭和49年 組合解散60余年の歴史閉づ
昭和49年8月 中沼農事振興組合建之」
と刻まれています。
中沼は、明治中期に中野氏によって開墾が行われ、その後モエレ沼の東端を呼称した沼の端地区と併せて「中沼」と呼ばれるようになりました。開拓当初は、土壌の質や水はけがとても悪くて開墾に苦労しましたが、水量豊富なモエレ沼を水源にした造田によって、豊かな稲作地域に成長しました。その歴史は上記の石版に記述されていますが、今でも地域一帯に農作地帯が広がっています。
0コメント