「宮西頼母歌碑」。

(あしあと その196・北区の9・篠路の4)

「興産社の馬頭観世音」からさらに西方向に向かうと、交差点の一角に石碑が立ち並んでいるのが見えてきます。この地は、興産社町内会会館の東側に広がる敷地で、新旧の石碑や記念碑がここに集められています。立ち並んだ碑の向かって一番右側に位置する碑が、「宮西頼母歌碑」です。

碑面には、宮西の直筆による

「チモシーの 禾積(にほ)つみ終へし 土手のうへ 石狩川は 波立ちて見ゆ」

の歌が刻まれています。

碑面には「禾積」とされていますが、説明板には「禾穂」と記されています。この違いは誤植によるものかは判然としませんが、宮内庁のHPには「禾積」とされているので、宮西氏自身の揮毫による「禾積」が正しいものと思われます。

碑の背面には、

「宮西頼母氏歌碑

表の歌 昭和四十三年 宮中歌会始入選歌 大正七年現地拓北に生る 篠路町有志一同発起人となりこの碑を建立する 昭和五十一年十一月三日」

と刻まれています。

碑の左側には説明板が立てられていて、それには

「宮西頼母歌碑

「チモシーの禾穂(にほ)つみ終へし土手のうへ石狩川は波立ちて見ゆ」

昭和43年の歌会始め詠進歌に入選した歌である。「チモシー」とは、牧草の一種、「禾穂」とは牧草を円錐形に高く積み上げたものである。石狩川の近くで農業に従事しながら作歌活動を続けてきた歌人であり、北の厳しい自然と大地に挑む農耕歌を多く発表している。」

と記されています。

この碑は、宮西氏の歌集である「拓北」の出版を記念して、有志一同により建立されました。建立当時は、現在のあいの里にある拓北会館前にありましたが、昭和57年に現在地に移設されました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000