「北光星第八句碑」と副碑。

(あしあと その203・豊平区の23・月寒公園の2)

月寒公園の高台野球場から北東に向かうと、遊歩道の脇に「北光星第八句碑」と副碑があります。

自然石でできた句碑の碑面には、石板がはめ込まれていて、それには

「開拓や 斧よ 木霊よ 遠郭公 光星」

と刻まれています。

句碑の左側には、黒御影石でできた副碑が添えられ、それには

「北 光星(孝義)

大正十二年三月五日 野付牛町字仁頃(現北見市)に生まる 昭和四年 両親と共に雨竜郡北竜村(現・町)に居を移し 同二十七年札幌に転入 同三十四年 豊平区豊平三条二丁目に居を構え現在に至る

昭和二十二年より 家業であった大工の生活 道具などを素材とした俳句活動を展開 同三十年 第一句集「一月の川」を上梓するに及び 彗星の如く日本俳壇に進出した

ことに「礫」「扉」を前身とする光星氏主宰の俳誌「道」が 当年 平成十二年 西紀二〇〇〇年十二月号を以て 通巻四百号を迎えることを記念すると共に 前年 平成十一年の北海道文化賞(昭和五十七年北海道文化奨励賞)受賞をも併せ 氏の喜寿を祝い ここ月寒公園内に 光星第八句碑を建立する

第一句碑 北竜町 真竜小学校(母校) 前庭

第二句碑 雨竜町 雨竜公民館 前庭

第三句碑 沼田町 沼田北竜 ひばり丘公園

第四句碑 静内町 静内温泉 前庭

第五句碑 渡島 福島町 通称萩公園 高台

第六句碑 利尻町 資料館 前庭

第七句碑 浜頓別町 芸術の森

平成十二年六月二十五日

北光星第八句碑建立委員会」

と刻まれています。この副碑の揮毫は、'15年4月に87歳で亡くなられた書家である島田無響氏によるものであることが、副碑の背面に記されています。

句碑の右側には説明板が建てられ、それには

「【北光星第八句碑】

「開拓や 斧よ 木霊よ 遠郭公 光星」

大自然の中で斧を振るう情景が、遠くから聞こえるカッコウの鳴き声とともに光星の五感を透かしてよく映し出され、いかにも北海道の開拓という地域性と「大工俳句」と呼ばれた光星らしさがうかがえる。句碑の筆跡は後世の直筆を刻んだものである。

《北 光星 略歴》

本名:北 孝義

長年にわたり俳句の創作に取り組み、俳誌「道」の発行をはじめ、数多くの句集、著書の発刊を通して俳句の発展に情熱を注ぐとともに、若手俳人の育成、愛好者の句会の指導に尽力するなど、北海道の文化の発展と地域における文化活動の振興に大きく貢献した。

・大正12年 野付牛町(現北見市)に生まれる

・昭和30年 「一月の川」発刊

・昭和31年 俳誌「礫」発刊。戦後新人五十人集掲載

・昭和41年 俳誌「扉」「道」発行

・昭和53年 社団法人俳人協会評議員就任

・昭和57年 北海道文化奨励賞受賞

・昭和61年 北海道新聞俳句選者及び北海道新聞俳句賞選考委員就任

・平成 5年 北海道俳句協会「鮫島賞」受賞

・平成11年 北海道文化賞受賞

・平成13年 78歳にて逝去」

と記されています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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