(あしあと その215・白石区の3・北郷の1)
白石区米里にある米里中学校から東側の札樽自動車道を挟んで対称する位置にある、あまり大きくない閑散とした交差点附近に、中央バスの「白石開拓記念碑前」というバス停留所があり、その交差点の角の空き地に大きな石碑が建っています。これが、北郷の開拓百年を記念して建てられた「開拓記念碑」です。
重厚な作りの台座の上に大きな黒御影石でできた石碑が置かれており、「開拓記念碑」と筆太に刻まれた碑銘とともに威風堂々たる風格を感じさせます。台座の正面にはめこまれた石板には、「白石開基百年記念 北海道知事 町村金吾書」と記されています。
碑の背面には、「昭和二十八年 月 日建之」の文字と、組合長、功労者2人、顧問6人に続いて、56人の氏名が刻まれています。
石碑の左横に副碑が置かれており、碑面には、
「この地の開拓は昭和二十年東京都からの拓北農兵隊五戸の入植にはじまる。
翌二十一年逼迫する食糧事情のため疎開者引揚者等多数来住し第一開拓促進組合を結成一致団結本格的な開発が進められた。当時この地は茅葦が密生する泥炭湿地帯に加えたび重なる霊水害発生等の劣悪なる立地条件であったがそれに屈することなく開拓者精神によって想像することもでき得なかった今日の大地をきずきあげたのである。
昭和二十八年有志一同により記念碑を建立する予定であったが打ち続く天災さらには用地事情等延伸を余儀なくされた
幸い今日関係者の絶大なるご配慮によって建立のはこびとなりここにこの開拓者精神の継承を祈念するとともに輝かしい未来創造を期待しここに開拓記念碑を建立する。
昭和四十五年十月一日」
と、また背面には建設委員の8人の氏名が刻まれています。
本碑に刻まれた建立月日が空白となっているのは、昭和28年には碑の建立が準備されていたにもかかわらず諸般の事情により延期となり、昭和45年になってやっと実現したためです。拓北農兵隊とは、戦時における緊急対策として、戦災を受けた地域に北海道への集団帰農の募集を行ったもので、東京や神奈川、愛知をはじめとする大都市を中心に3,600余戸が入植し、未開地の開墾に従事しました。戦時中のこととはいえ、当時のこの地域は開拓当時と変わらない状況にあったことが推察され、彼らの労苦は計り知れないものでした。
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