(あしあと その296・豊平区の40・平岸の11)
札幌市立美園小学校の南側に、野球場が併設された平園公園という運動公園があり、その公園内の北東の一角に3基の石碑が建てられています。
その一番左側に建てられている碑が「故重延卯平翁之碑」です。碑面には大きく、「故重延卯平翁之碑」と刻まれ、その左脇に「男爵佐藤昌介書」と小さく添えられています。
碑の背面には、重延翁の経歴が次のように刻まれています。
「故重延卯平翁ハ愛媛縣ノ人明治十八年幼ニシテ平岸村ニ来往シ農業ニ従事セリ長スルニ隨(したが)ヒ勤倹力行産ヲ収メ然(しかれど)モ水田耕作ノ改良農具發明ノ功勞尠(すくな)カラズ大日本農會ヨリ表彰セラル加之多年農會役員町會議員等公職ニ在リ自治ニ貢献セシ處(ところ)亦(また)大ナリトス惜哉昭和十年六月病ヲ以テ歿ス時ニ六十二歳茲ニ開拓功勞者トシテ其ノ懿徳(いとく)ヲ碑ニ刻シ後世ニ傳フ
昭和十一年七月五日建之 豊平町長松崎亀二書」
その下に続けて、「發起者 平岸村東裏部落一同」と刻まれているのが見て取れます。
碑の台座の背面と左側面には、「寄附者」として多数の氏名とそれぞれ寄付した金額が刻まれています。
碑の前方に建てられた説明板には、
「故重延卯平翁の碑
昭和11年、開拓の先駆者であり東裏部落発展の基礎を築いた、故重延卯平翁をしのんで村人が建立した碑。東裏に初めて水田を開き米を収穫した重延久太郎、卯平親子の並々ならぬ努力をたたえたものである。」
と記されています。
現在の平岸の東側の地域は、かつて東裏と呼ばれていました。重延翁は、寒さの厳しいこの地で米を作ることは無謀なことと周囲から言われながらも、農機具の発明などの技術開発に腐心して稲作を軌道に乗せることに成功した人物です。碑銘を揮ごうした佐藤昌介は、北海道帝国大学の初代総長を勤めました。
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