(あしあと その312・北区の22・篠路の16)
篠路神社の境内に建てられた「馬魂碑」の右側に並んでもう一つ石碑があります。正面に「青年會」と刻まれた台座の上に載せられた碑面には、「力士小松山之碑」と刻まれています。
碑の背面には、
「爲小松山取上相撲建之 明治四十二年九二十二日 建主 篠路本村青年會」
と刻まれています。
この碑の脇に建てられた説明板には、
「力士・小松山之碑
小松山(本名 下山松太郎)は、明治中期の篠路村で数少ない素人相撲の力士であった。例年、篠路神社の祭礼で大関相撲を奉納し、また、後進の育成にも尽力したことから、本村青年会が中心となり、郷土の誇りとして明治42年(1909年)に碑を建立した。大正に入って相撲が盛んになるとともに篠路相撲奨励会も発足し、息子の下山元市も立派な大関として活躍した。」
と記されています。
相撲は地域住民の娯楽の一つでした。力士にまつわる碑は、このほかにも平岸の天神山や北区の新川通沿いにも建てられています。
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