「開拓紀念碑」。

(あしあと その363・豊平区の53・西岡の4)

西岡八幡宮の境内に並ぶ碑の一つの開拓紀念碑です。注連縄が掛けられた碑の碑面には、「明治三十九年六月建之」の横に、大きく「開拓紀念碑」と刻まれています。

この碑が建てられた明治39年は、国の政策により神社の統廃合が進められた年でもあり、創建されたばかりであった西岡八幡宮の前身となる神殿が無格社として廃止となるところ、札幌三好神社の佐藤宮司によってこの石碑を御神体として廃止の危機を乗り切ったと伝えられています。

石碑の台座となっている巨大な玉石は、この石碑を正式に境内に安座させるために、昭和9年に神社裏手の月寒川から50人がかりで運んできたものと言われ、重さは約1.5トンもあるものです。

また、石碑の前には手水石が置かれ、その正面に「月寒村焼山」と刻まれていますが、開拓者が入植した明治22年当時、西岡の地域一帯は草深い原始林に覆われ、焼山と呼ばれていました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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