「移住紀念碑」。

(あしあと その420・北区の34・屯田の3)

江南神社の境内に建てられた石碑の一つが、「移住紀念碑」です。

二段の台座の上には、硬石でできた碑が置かれており、その碑面には大きく「移住紀念碑」と刻まれています。

碑の背面には、一つの面に「明治二十ニ年七月十五日移住」と、別の一面には「明治二十九年七月六日建設」と刻まれています。

先に紹介した「望郷のアカマツ」の前に立てられた説明板には、次のように記されています。

「篠路兵村「移住記念碑」

篠路兵村(現在の屯田)に屯田第一大隊第四中隊として220戸の屯田兵が入植したのは、明治22年(1889年)7月15日。

家族も含めると1,056人の集団入植だった。士族屯田としては最終の入地で、出身県は徳島県から29戸、和歌山県から37戸、山口県から44戸、福岡県から13戸、熊本県から45戸、福井県から20戸、石川県から32戸であった。この記念碑は入植して7年後の明治29年(1896年)に建立された。」

篠路兵村は、当初篠路村に属していましたが、その後琴似村に移管されて琴似町となり、昭和47年に札幌市が政令指定都市となって区政が敷かれてから、札幌市北区屯田と呼ばれて現在に至ります。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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