「開拓碑」。

(あしあと その426・北区の40・屯田の9)

屯田開拓顕彰広場の奥に並ぶ碑の一つが、「開拓碑」です。自然石を積み上げて造られた台座の上に、仙台石の石碑が建てられています。

碑の上部に「開拓碑」という文字が浮き彫りにされ、その下に「北海道帝國大學總長正三位勲一等農學博士佐藤昌介第竝撰」に続いて漢文の文章が刻まれています。そこには、

「明治維新廟謨置開拓使分國設郡建廰開港以樹蝦夷地開拓之大策也爾來移住者陸続至駸駸乎日趨於繁廉石狩國札幌郡篠路兵村係明治二十二年創設同年七月十五日熊本山口和歌山石川徳島福井福岡七縣之士族二百二十人擧其家移居此地而属屯田歩兵第一大隊第四中隊兵農相兼以任北門警備是爲開村之紀元本村在石狩川流域地勢平夷地味肥沃五穀蕃滋然遭洪霖則江水氾濫被害甚大是以民散而之四方者多里胥深憂之致力治水築堤護岸民始安焉明治四十二年村民樹造田之計以期村之発展大正二年創設土功組合既而投総工費六萬五千餘圓鑿溝洫引新川及創成川之水以充灌漑此役也工難費巨因賣村有地大半充工費屯田兵諸氏好勵農練武甚有事譽明治二十五年編入豫備役同二十九年編入後備役先是征清之役本村兵員應徴從軍會和議成而還尋征露之役起也復勇躍從軍奔走硝煙弾雨中奮戦超屡而殉其難者實十人姓名維芳

顧開村當時巨樹參天叢篠塞地羆熊跋扈豺貇出没加之水災屢至開拓之業豈容易哉然而歴代之隊長及里胥皆能盡其職村民亦鋭意勵精以從事墾開斬伐鋤理日不暇給如此者多年林莽寝爲美田粲然改觀而今也得水田七百町歩嘉禾満田其功洵可謂偉今茲昭和三年秋  天皇陛下擧即位禮於京都此歳村民胥謀欲建開拓碑于江南祠域以爲大典記念來請文於予予大贊其擧亦偉村民辛苦經營之功故不敢祀辭而叙次其梗概以貽後毘云

昭和三年九月 蘭舟 庄子榮三郎書」

と刻まれています。

碑の背面には、「移住當時戸主人名」として、「徳嶋藩二十九戸、和歌山藩三十七戸、山口藩四十四戸、福岡藩十二戸、熊本藩四十六戸、福井藩二十戸、石川藩三十二戸」の計220人の氏名と、最後に「中村宣馬 書之」、一番下の中央に「維時四十年祭」と刻まれています。

広場内に立てられた説明板には、

「篠路兵村「開拓碑」

この碑は、屯田地区の開基40年を記念して昭和3年(1928年)に建立された。

約500字に及ぶ漢詩調の碑文は、当時の北大総長であった佐藤昌介が寄稿したものである。

玉石五段積み、この上に自然石を乗せ、高さ1.8メートルの台座に、高さ2.8メートル、幅90センチメートルの仙台石の棹石としている。」

と記されています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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