「開基九十周年記念顕彰碑」。

(あしあと その421・北区の35・屯田の4)

江南神社の境内にあり、先に紹介した「移住紀念碑」に並んで建てられている碑が、「開基九十周年記念顕彰碑」です。

台座の上に大きな黒御影石が置かれた碑の碑面には、

「開基九十周年記念顕彰碑

神をうやまい 祖をとうとびて 九十年 にい宮はなる 江南のさとに 晋平

北海道知事 堂垣内尚弘 書」

と刻まれています。

碑の背面には、

「屯田兵として各県より渡道し家族とともに使命に服した世帯

徳島県 士族 二十九世帯 和歌山県 士族 二十七世帯 山口県 士族 四十四世帯 福岡県 士族 十二世帯 熊本県 士族 四十六世帯 福井県 士族 二十世帯 石川県 士族 三十二世帯 計二百二十世帯 千五十六名で各県より相模丸に乗船して 明治二十二年七月十四日 小樽港に上陸 翌十五日汽車で琴似駅に下車 琴似駅より徒歩で現在屯田小学校隣にあった 屯田兵第四中隊本部に到着

兵屋の割振りは抽選で決められ それぞれ入居した

碑の歌は歌人吹田晋平氏 本名菅進氏 の作品で 氏は新琴似屯田兵の二代目として生まれた農民歌人 橄欖(かんらん)及び原始林の同人

同氏は琴似町が札幌市と合併した昭和三十年三月以来 永年市議会議員として 当屯田町の発展につくし 尽力を惜しまなかった 

札幌市 市政功労者でもある 昭和五十三年七月十五日建之」

と刻まれています。

台座の正面には、黒御影石でできた石板がはめ込まれており、それには、

「碑文

わが町 屯田の基礎を築いたのは屯田兵第一大隊第四中隊で明治二十二年七月十五日 二百二十家族千五十六人がこの地に入植した

この屯田兵には二大使命があった

一つには屯田兵として北方防備の第一線に献身する

二つには北海道開拓の先駆者となることであった

この地に入植した屯田兵は四国 九州 北陸など暖国各県の氏族で 寒冷不毛に耐えて 家族とともにこの使命に服した

兵は連日 厳格な軍律のもと教練を受け 家族もまた 教令に従って開墾に励み 本道開拓の大きな使命を遂行 大自然の猛威もよく克服して子孫のため楽土建設に汗を流したのである

かくして今日 わが町屯田は基礎ができ今日の興隆を迎えた

ここに屯田町開基九十周年を迎えるに当たり 加えて土地改良区六十五周年を合わせて 町を挙げて協賛会を結成 記念事業として 江南神社 及び社務所御造営 顕彰碑建立を企画 実現した

先駆者の偉大な功績を称え 敬神崇祖 今後の屯田町の生成発展を祈念するものである

昭和五十三年七月十五日 屯田町開基九十周年協賛会」

と刻まれています。

また、「望郷のアカマツ」の前に立てられた説明板には、

「屯田開基九十周年記念顕彰碑

明治22年(1889年)7月15日に220戸の屯田兵が入植して以来、数度の水害や冷害凶作などで、明治42年(1909年)には70戸あまりの小集落になった。しかし、たび重なる自然の猛威を乗り越えて一大水田単作地域となり、昭和40年代に入って住宅地として発展してきた。

この碑は、昭和53年(1978年)の開基90周年を記念して建立された。正面の短歌は吹田晋平の作である。」

と記されています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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