(あしあと その466・豊平区の58・平岸の15)
天神山緑地にある碑の一つが「林檎園日記」碑です。
碑面にあるのは、札幌出身の劇作家である久保栄の戯曲である「林檎園日記」の一節で、
「林檎園日記 戯曲四幕 久保榮
六月六日(月曜日)晴。
上田の畑からもとの新畑へかけて、今日ぐらゐがもう満開で、うちのは平均して三分咲きほど。乳いろにうす紅をぼかした花が五輪づゝかたまつて咲く梢から、甘ずつぱい匂ひがして来て、そこらにいつぱいになるのをかぐと、どういふわけか、子供の頃百人堀にそつて山の湖水の方へかよつてゐたガタ馬車の、あのピポ、ピポーと鳴らしてとほる笛の音が思ひ出されて、まだ丈夫だつたお母さんが、いまわたしのしてゐる帆前掛をかけて園内作業をしてゐえう姿が、眼にうかんで仕方がない。」
と刻まれています。
碑の背面には、
「久保栄 明治三十三年(一九〇〇) 十二月二十八日久保兵太郎の次男として札幌市南ニ条西八丁目に生まれる。
創成尋常小學校に入學、一時叔父の養子となり、東京京橋小學校にかわる。府立一中、一高をへて東大独文科を卒業、小山内薫の築地小劇場にはいり、演出家、創作家となる。
ゲーテ「フアウスト」、シラー「群盗」等の翻訳、菊池寛「父帰る」島崎藤村「夜明け前」等の演出でリアリズム演劇の大道を築く。
主な作品に「中國湖南省」「五稜郭血書」「火山灰地」「林檎園日記」「のぼり窯」「新劇の書」など、その過半を北海道に取材する。なかんづく戦中の「火山灰地」は日本新劇史の最高作品と評され、平岸によりそう「林檎園日記」は、その室内楽として書かれた。
昭和三十三年(一九五八)三月十五日、順天堂病院で没す。」
と刻まれています。
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