「御造營記念碑」。

(あしあと その488・北区の47・篠路の19)

篠路神社の鳥居をくぐって境内に進んだ左手にあるのが、「御造營記念碑」です。自然石を積み上げた台座の上に、白御影石でできた石板が置かれ、碑面には次のように刻まれています。

「御造營記念碑 篠路神社由緒畧記

御祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 保食大神(うけもちのおおかみ) 品陀別大神(ほんだわけのおおかみ) 烈々布天満宮 大正神社 山口金刀比羅宮 拓北伊夜日子神社

由緒

徳川末期 幕府は箱館に奉行所を設け、東蝦夷地と千島を直轄する傍ら、道央内陸部の警備と開拓のため石狩調役以下を置いたが、安政二年、幕臣荒井金助直盈が幕命をうけて從者十二名を卆い、北辺警備のために移住して篠路村の基を開き、小村を設け守護神として若宮八幡(江戸)の神霊を奉斎して八幡神社を創祀したのに始まり、後、祭神二柱を増祀、拝殿と石の間を増築して明治三十四年一月二十八日公認を出願、同年九月二十五日無格社として許可、昭和二年八月一日村社に列格 昭和二十一年二月、社格を廃止して神社本庁所属神社となる 昭和五十五年九月、御創祀百二十五年記念祭を迎え、社殿及び社務所の御造営事業竣工、茲に奉賛者の芳名を謹刻し、敬神の至誠を萬代に讃えんとす。

昭和三十五年九月吉日建之 篠路神社御造営奉賛会」

碑の背面には、「篠路神社御造営奉賛者芳名録」として、多数の氏名が刻まれています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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