「暁野墓地無縁精霊合葬墓」。

(あしあと その655・豊平区の76・平岸の18)

平岸霊園内の小高い丘の上に建てられた合同納骨塚の建物に向かって右側に、大きな石碑があります。これは、「暁野墓地無縁精霊合葬墓」です。

碑面には、筆文字で「暁野墓地無縁精霊合葬墓」と刻まれています。

碑の左側面には、「本市南七條西九・十丁目ニ在リシ暁野墓地ヨリ 大正十五年七月 日改葬ス 札幌市」と刻まれています。

石碑の脇には説明板が立てられていて、それには

「無縁塔の由来

この無縁塔は、大正15年に暁野墓地(現在の中央区南11条西9丁目、曙小学校)が廃止されて、山鼻墓地に移転改葬された時に作られたもので、移転当時残存した無縁故者の霊を祭祀したものであります。

また、山鼻墓地(現在の中央区南29条西11・12丁目、山鼻南小学校、南警察署)も昭和40年・41年の2年間にわたって、当霊園に移転改葬されたため、当所に移設復元させたものであります。

昭和41年10月1日 札幌市」

と記されています。

札幌の開拓初期、札幌本府の南端に東本願寺札幌別院が位置していましたが、それより南の地域は、「明篠(あけしの)」と呼ばれる未開の地でした。その後「暁野(あけしの)」から「曙」に字名改正がされますが、まだ「暁野」と呼ばれていた時期に、札幌区最初の公共墓地として開設されたのが「暁野墓地」です。この墓地は、明治9年の山鼻屯田兵の入植とともに屯田兵専用の墓地として利用されるようになりますが、大正15年には、現在の南警察署の西側にあった山鼻墓地に移転改葬されます。この碑はその時に建立されたものになりますが、昭和40年から41年にかけて平岸霊園に行われた移転改葬に伴い、現在地に移されました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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