(あしあと その672・豊平区の79・月寒の21)
月寒西の平和公園と南月寒小学校の間に広がる住宅街に囲まれるようにして市民墓地があります。うねるように起伏がある、決して立地がいいとは言えない場所ですが、開拓当時から地域住民の魂が眠る共同墓地として使われている「月寒墓地」です。
墓地の入り口には、木造の小祠が置かれ、その中に6体の小柄な観音様と数体の石像が鎮座しています。像にはそれぞれ赤い襟巻が巻かれていて、地域住民に大切にされていることがよくわかります。
小祠の脇には説明板が置かれており、そこには、
「月寒墓地
月寒の開拓が始まった翌年、明治5年に設置された。開拓使文書に「月寒共同墓地」と記載されている。明治時代は大木のうっそうと繁る寂しい場所であったという。土葬または墓地の一角で火葬して埋葬したという。」
と記されています。
こんなところに墓地があるなんてと驚いてしまいますが、今でこそ住宅が広がって見通しが良くなってはいるとはいえ、設置当時は樹木に覆われた人気のない村はずれの一角であったであろうことは想像に難くありません。都心部にある札幌の開拓当初からのご先祖様の霊が眠る地として、とても貴重な場所です。
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