「浅羽苗邨先生像」。

(あしあと その678・豊平区の82・旭町の3)

北海学園高校の正門を入ってすぐ左手の芝生に、高い台座の上に置かれたブロンズ製の胸像があります。これは、明治18年に開校した、北海学園高校の前身である北海英語学校の設立に参画して初代校長を勤めた浅羽靖(しずか)の胸像です。台座の正面には、「浅羽苗邨先生像」と浮彫がされたブロンズ板がはめ込まれています。苗邨(びょうそん)は、晩年浅羽氏が名乗った号です。

台座の背面には、

「先生不問在朝與在野致身於本道之拓殖興學校又奨産業或議鐵道之敷設或論港彎修築之〇遂爲札幌區民所推爲衆議院議員十有余年矣以所其曽興之學校更爲中等黌稱北海中學校爾来〇私財拮据徑營努之完成躬行實踐以示範前後實廿有七年以及歿時也己賜藍綬褒章表彰其善行名聲垂後昆豈俟此擧後然者乎

北海中學校竝札幌商業學校職員生徒及同窓者有志相謀建之大正十五年五月」

と浮彫がされたブロンズ板がはめ込まれています。

ブロンズ像の背面には、「碩朗作」と記されています。碩朗は、福井県出身の彫刻家である田嶼 碩朗(たじま せきろう)のことで、札幌にもアトリエを構えて北海道や樺太を中心に銅像制作を手がけましたが、その多くは大戦の金属供出によって失われてしまいました。札幌市内には、北大構内のウィリアム・S・クラーク像や、大通公園の西5丁目にある聖恩碑がその作品として残されています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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