「野呂榮太郎 塩澤富美子 記念の樹」碑。(あしあと その894・豊平区の114・旭町の4)北海高校の校舎南側の敷地内に、御影石でできた小さな石碑が置かれています。この碑は、「野呂榮太郎 塩澤富美子 記念の樹」碑です。21Apr2020〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町人物の碑
「學壱大田文之助碑」。(あしあと その892・豊平区の112・豊平の21)経王寺の墓地に並ぶ3つ目の碑は「學壱大田文之助碑」であることが、地元の郷土史家である中川昭一氏の「豊平の歴史」に記されています。碑面に刻まれた文字は判読が困難ですが、火砲には「大田文之助碑」と刻まれているように読み取れます。碑の左側面には、「明治三十八年四月建之 〇内有志書」と刻まれているようです。05Apr2020〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町慰霊の碑
「故陸軍歩兵上等兵千田染作慰霊碑」。(あしあと その891・豊平区の111・豊平の20)経王寺の境内の南側に広がる墓地に建てられた石碑の一つが「故陸軍歩兵上等兵千田染作慰霊碑」です。札幌軟石でできた背の高い四角柱の碑は風化が著しいですが、碑面には「南無妙法蓮華経」と刻まれ、その左側面には「故陸軍歩兵上等兵千田染作君者従征露軍第七師團〇〇五聯隊第二中隊明治三十七年十一月二十六日於清国盛京省旅順方面松樹山補備砲臺附近熾思烈勇敢奮戦激闘〇遂名譽之戦死」と、千田氏の戦死に至った経緯が刻まれています。盛京省は、現在の遼寧省の旧称になります。30Mar2020〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町慰霊の碑
「遭難兵士鎮魂碑」。(あしあと その890・豊平区の110・豊平の19)豊平の国道36号に面して広大な境内を持つ古刹の経王寺。境内の南側にあたる寺社殿の裏に墓地があり、その中央付近にいくつかの石碑が並んで建てられています。29Mar2020〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町慰霊の碑
「龍松寺の石碑群」。(あしあと その889・豊平区の109・豊平の18)国道36号に面した龍松寺の山門を背に寺社殿に向かって右手に、数基の石碑が並んで置かれています。28Mar2020〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町信仰の碑
「開基堀内家彰功記念之碑」。(あしあと その888・豊平区の108・豊平の17)豊平にある国道36号に面した古刹の龍松寺には、境内にいくつかの碑や仏像が置かれています。22Mar2020〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町信仰の碑
「創立百周年記念塔」。(あしあと その821・豊平区の100・豊平の16)札幌市立豊平小学校のグラウンド側の一角に、コンクリート造り2階建ての小さな建物が付属しています。13Aug2019〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町教育の碑
「豊平駅前今昔」記念碑。(あしあと その763・豊平区の89・豊平の15)豊平のかつての定山渓鉄道の豊平停車場があった国道36号沿いに、新しい説明板が立てられました。その場所は、市電豊平線の引込線跡である変則形状をした道路に囲まれた緑地帯の中です。24May2019〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町交通の碑
「宗祖日蓮大菩薩」碑。(あしあと その730・豊平区の87・豊平の14)経王寺の境内にある観音堂の中に安置された、向かって左側にある石碑が、「宗祖日蓮大菩薩碑」です。24Mar2019〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町信仰の碑
「馬頭観世音」碑二基。(あしあと その729・豊平区の86・豊平の13)国道36号沿いにある豊平の古刹「経王寺」の寺門から本堂に向かう途中の右手に、「観音堂」の小祠があります。入り口の上部には、八世住職の正壽院日堂上人の揮毫による「観音堂」の額が掲げられています。21Mar2019〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町馬頭の碑
「難得神社」。(あしあと その727・豊平区の85・水車町の3)水車町の豊平川右岸の堤防の一段下を走る道路沿いに、立ち並ぶ巨木がうっそうとした一角があり、そこに赤い屋根の日本家屋が建っています。18Mar2019〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町信仰の碑「とよひらふるさと再発見」
「浅羽苗邨先生像」。(あしあと その678・豊平区の82・旭町の3)北海学園高校の正門を入ってすぐ左手の芝生に、高い台座の上に置かれたブロンズ製の胸像があります。これは、明治18年に開校した、北海学園高校の前身である北海英語学校の設立に参画して初代校長を勤めた浅羽靖(しずか)の胸像です。台座の正面には、「浅羽苗邨先生像」と浮彫がされたブロンズ板がはめ込まれています。苗邨(びょうそん)は、晩年浅羽氏が名乗った号です。21Nov2018〇豊平区の石碑豊平・豊平神社・旭町・水車町人物の碑