(あしあと その714・清田区の15・平岡の4)
高台の上にある厚別(あしりべつ)神社の駐車場側にある鳥居のそばに、意匠を凝らした石碑が建てられています。
これは、「「拓」清田開基百年碑」と呼ばれている碑で、白御影で造られた2本の石柱のくぼみに、「拓」という一文字が刻まれた黒御影石がはめ込まれています。その碑面の文字の横には、「札幌市長 板垣武四 書」と添えられています。
碑の背面には、
「風雪百年
人跡未踏のこの地が開拓の鍬を入れてより一世紀ここに今日の繁栄をみるは先人の血と汗にまみれた尊い開拓魂の結集の賜である
茲に開基百年を迎えその功績と遺徳を偲び記念碑を建立し永く後世に伝える
昭和五十年九月十二日 清田地区開基百年記念事業実行委員会々長 見上権治郎」
と刻まれています。
清田のこの地一帯は、開拓当時はアシリベツと呼ばれていました。長岡重治氏が開拓の一歩を刻んだのは明治6年。清田は集団入植が行われなかったことから遅々として開拓が進まず、集落の体をなしたのは明治34年ころになってからだったそうです。
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