「北都団地」。

(あしあと その772・白石区の48・北郷の4)

北都公園内に置かれた「北都地区区画整理第1号完成記念碑」のそばに、「北都団地」の説明板が立てられています。

説明板の左側には「北都団地 昭和44年撮影」と題された白黒の航空写真が掲げられており、右側には次のような説明が記されています。

「北都団地

この地域は低湿で荒涼たる原野であったが、明治35年(1902)頃から開拓者が入り、明治時代には北村農場、大正末期には伊藤農場といわれる農場ができた。

これに隣接する「草刈り場」と呼ばれていた共同地、それに川下の一部を合わせた総面積約77万㎡(約23万坪)の地域が北都団地である。

昭和7年(1932)頃から水田耕作が開始され、昭和21年函館本線北側の農家12戸が独立して「北都農事組合」を設立した。

昭和30年代に入り、年々灌漑用水の確保が困難をきたし、昭和38年(1963)ついに水田耕作は中止に至った。

一方昭和25年、白石村が札幌市と合併したころから、後継者難による離農者が現れ、農地転用による不規則な私道と家屋の乱立が目立ち始めた。

そのため昭和38年9月、関係者約40名は、3割減歩負担前提の区画整理事業に踏み切り昭和39年3月、札幌市北都土地区画整理組合を結成、昭和41年度までの4か年の継続事業で「団地」を造成した。

これは農地を住宅団地にした北海道初の事業で、総工費1億6500万円であった。」

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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