(あしあと その833・豊平区の106・月寒の29)
月寒にある八紘学園の栗林記念館の南西側に学園の施設が幾棟か並んでいますが、その裏側に隠れるようにして、石造の鳥居が建てられているのが見えます。
この鳥居の奥には小さな社殿が鎮座しており、手前には「菜洗神社」と刻まれた白御影の社号標が立てられています。
菜洗神社で特筆すべきは社殿前に置かれた狛犬で、社殿に向かって右手に鎮座している狛犬が左手で手毬を押さえていて、それが透かし彫りになっていますが、さらにその手毬の中に丸い石が入っており、これが動くように細工されています。
実際に透かし彫りとなっている隙間から指を入れて中の丸い石に触れてみると、これがぐらぐらと動くことが分かり、とても精巧にできていることが分かります。
狛犬の台座の左側面には「昭和八年五月吉日 岡田滿 同サト」と刻まれています。
「八紘学園七十年史」によると、菜洗神社は、昭和8年に元北海道拓殖銀行の6代目頭取である岡田信氏が千葉県にあった自宅に建てたものです。岡田氏は昭和16年に頭取の職を辞して、満州興業銀行の総裁として渡満しましたが、昭和21年に敗戦後の人民裁判にかけられ、中国共産軍の手によって銃殺されました。その後神社の引き取り手がいなくなって宙に浮いてしまったところを、八紘学園の創始者である栗林元二郎氏が引き取りを申出て、昭和51年に現在地に移築、復元されるに至りました。その際にこの狛犬も一緒に移築したものだとわかります。
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