(あしあと その869・東区の36・本町の8)
札幌村郷土記念館の前庭に建てられた「札幌玉葱記念碑」です。台座の上に大ぶりな黒御影の石板が置かれています。
石碑の碑面には、「わが國の 玉葱栽培 この地に はじまる 髙木圭助書」と刻まれています。
台座の正面には、赤御影石の石板がはめ込まれていて、そこには
「日本の玉葱は明治四年(一八七一)開拓使が米国から種子を輸入し札幌官園で試作した後、多くの苦心が重ねられ、元村で栽培が定着した。
明治十三年中村磯吉が一町歩余を栽培して良品を収穫し、みずから東京に送って販売を試みたが失敗した。しかし、同十六年に武井惣蔵が道外への販売に成功したことによって、本格的に玉葱が生産されるようになった。
明治三十年代には、札幌村にはじまった玉葱が次第に近村に広がり、また耕作者による選抜改良も年々すすみ、優良な品種〝札幌黄〟が育成され、篠路村、白石村を合わせた一大産地となり、札幌特産として全国に出荷されるばかりでなく、広く海外にも輸出されて、その名声が一段と高まった。
その後、時によって盛衰もあったが、この地区は現在まで一世紀余、玉葱一筋の農業が続いている。
これまで多くの苦難に耐えて日本最古の玉葱産地を築き、栽培に努力した先人に感謝をささげるとともに、札幌黄玉葱の名を後世に残すため、栽培発祥にゆかりの深いこの地をえらび記念碑を建てる。
昭和五十三年十一月二日 札幌玉葱記念碑建立期成会」
と刻まれています。
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