(あしあと その890・豊平区の110・豊平の19)
豊平の国道36号に面して広大な境内を持つ古刹の経王寺。境内の南側にあたる寺社殿の裏に墓地があり、その中央付近にいくつかの石碑が並んで建てられています。
その中で、真ん中に位置する四角柱の碑が「遭難兵士鎮魂碑」です。札幌軟石でできた碑の碑面に「遭難兵士鎮魂碑」と大きく刻まれています。碑の右側面には、
「歩兵第二十五聯隊第十二中隊藻岩山行軍途中渡場際舩覆浸同乗十四名之内陸軍歩兵一等卒中村和右衛門〇二等卒小山長吉同山崎廣次之三名不幸遂爲溺死干〇明治三十七年五月二日也」
と刻まれています。
時代は、2月の日露戦争の開戦により国防に向けた機運が高まっていた時期に当たり、月寒に駐屯していた第二十五聯隊は、藻岩山に向けての行軍訓練を計画しました。豊平川を渡渉するために上山鼻の渡船場に向かい、分けられた人数ごとに船に乗り込み渡渉を開始しましたが、2回目の渡渉の際に船が浸水しはじめ、川に渡していた鋼線が切れて船が転覆。兵士3名が行方不明となって2名が遺体で発見されましたが、残る1名は行方不明のままでした。
この碑は、遭難事故が発生した明治37年からちょうど100年目の年に当たる平成16年に、この経王寺の境内に建てられているのを発見されました。その経緯は、地元の郷土史家である中川昭一氏の著書「豊平の歴史」の中で詳しく触れられています。この碑の背面には建碑の際の協力者14名の氏名が刻まれているそうですが、残念ながら確認することはかないませんでした。
0コメント