「學壱大田文之助碑」。

(あしあと その892・豊平区の112・豊平の21)

経王寺の墓地に並ぶ3つ目の碑は「學壱大田文之助碑」であることが、地元の郷土史家である中川昭一氏の「豊平の歴史」に記されています。碑面に刻まれた文字は判読が困難ですが、火砲には「大田文之助碑」と刻まれているように読み取れます。碑の左側面には、「明治三十八年四月建之 〇内有志書」と刻まれているようです。

碑の背面には、「明治三十七年十一月二十四日於〇〇」に続く文章が刻まれていますが、判読することが困難です。

台座の周囲には多数の氏名が刻まれているようですが、この碑を建てるにあたって協力した人たちの氏名になると思われます。

この石碑は、明治37年、学校での火薬の授業の後で、生徒により暴発した銃弾が当たって死亡した大田文之助君を慰霊するために、地域住民の寄付によって建てられた碑であることが述べられています。この碑も、「遭難兵士鎮魂碑」と同時期の平成16年に発見されたものだそうです。



「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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