(あしあと その908・豊平区の118・中の島の5)
中の島中学校の西側の環状通に面して、中の島神社の社殿があります。
鳥居に向かって右側に札幌軟石でできた社号標が建てられており、その正面には大きく「中ノ島神社」と刻まれています。
社号標の右側面には「北海道知事 町村金五」と、背面には「昭和三十四年九月建立」とそれぞれ刻まれています。
境内の一番奥まったところに社殿があり、その壁面にはご祭神が記された説明板が掲げられています。
「中の島神社祭神
大國主命(おおくにぬしのみこと) 土地の幸せを護る神様
稲倉魂命(いなくらたまのみこと) 食物と商売繁盛の神様
水波能売命(みずはのめのみこと) 水の神様
弁天宮命(べんてんぐうのみこと) 水の神様(戦後ふ化場から合祀)」
社殿に向かって右手に大きな丸石が置かれており、そこには次のような説明板が立てられています。
「手水石
昭和天皇の御即位御大典を記念し昭和三年に手水の石を当時の住民神社世話人等が自ら馬車を駆し豊平河畔の乗り入巨大な川石を運搬され奉納されたものである
現在の豊平河畔から想像し得ない往時が偲ばれます」
社殿の背後に回ってみると、小さな祠が建てられているのが見えますが、これは戦後になってふ化場から合祀された弁天宮命ではないかと思われます。
このふ化場とは、昭和11年に千歳から中の島2条2丁目に移転して、同26年頃までさけますのふ化を行っていた「北海道さけ・ますふ化場」のことで、現在の「国立研究開発法人 水産研究・教育機構 北海道区水産研究所」になります。
豊平区役所のHPによると、中の島神社は、明治10年頃、開拓者が地域守護のため、現在の中の島1条2丁目の大木に祀ったのが最初といわれ、大正初期に現在地に移転しました。
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