(あしあと その232・豊平区の30・月寒公園の4)
月寒公園の碑に戻ります。ボート池から小道伝いに小高い丘を登ると、「月寒開基百年之碑」のそばに白亜の人物像が建っています。
像は純白のコンクリート製で、切り株もしくは岩の上に老人男性が座り、その横に若い男性が背筋よく立ち、傍らには幼児を肩に座らせた若い女性が立っているという構図です。北西の空を見上げた3世代の男女の裸像は、未来に目を向けた力強さを象徴しているかのようです。石積みの台座の正面には、「永遠の像」と刻まれた石板がはめ込まれています。
台座の背面にはめ込まれた石板には、
「昭和三十六年五月一日 札幌市豊平町合併記念 豊平町合併記念像建設期成会」
と刻まれています。
像の前には説明板が建てられ、それには、
「【永遠の像】
この彫像は、昭和36年5月1日の札幌市と豊平町の合併にあたり、豊平開拓の先陣の遺業をたたえ、郷土豊平の発展的終えんを記念して、昭和37年9月、月寒公園内に建立されました。4人の全身裸像からなる彫像の作者は、竹中敏洋氏(たけなかとしひろ)です。
昭和10年頃からあった札幌市との合併問題は、様々な屈折をたどりながら、ようやく実現し、ここに豊平の新たな歴史がはじまりました。
この当時の豊平町の行政区画は、現在の豊平区、南区、清田区の大部分を含んでおり、この合併によって札幌市は、広大な山林や観光地を有することになり、国際的な観光都市として発展するための、大きな足がかりを得たとされています。」
と記されています。
札幌市と豊平町の合併は、お互いの利害関係などの複雑な諸事情を背景にして異論が百出しました。そのような障害を越えて合併を果たしたことは、現在の札幌市が国際都市と言われるまでの発展を遂げたことに大きく寄与したともいえるでしょう。
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