(あしあと その237・豊平区の35・月寒の6)
つきさっぷ郷土資料館の敷地に並んだ碑の一つである「艱盤快な梨(艱は快なり)」碑。自然石に刻まれた筆太の文字は、初めはなんて書いてあるのか読み取れず、紹介するのを控えていました。図書館で数々の資料を調べてみると、1つの資料にこの碑のことを詳しく紹介しているのを見つけました。
碑銘は、「艱盤(は)快な梨(り)」と刻まれています。「盤」と「梨」は、万葉仮名を漢字で表しており、「艱は快なり」と読みます。「艱」と「快」の2文字は元から漢字であるので筆太に書かれていますが、「盤」と「な梨」の3文字は平仮名を表しているので、先の2文字よりは細く崩して書かれています。「な梨」が「なり」であることはわかっていたんですが、「盤」の文字が読み取れなかったので、解読するのに時間がかかってしまいました。偶然いい資料を見つけることができたのが良かったですね。
碑銘の左側には、「聯隊長山田虎夫謹撰 仙臺 巴陵佐佐木守庸敬丹」と刻まれています。山田虎夫は陸軍大佐であった明治44年に、当時の第25聯隊の聯隊長を務めた人物で、舉山の号を持つ書家でもあります。佐佐木守庸(もりつね)は、仙台の書家であり、巴陵はその号になります。「敬丹」は、「謹んで、真心をこめて」といった意味になるそうです。
碑の右側面には、「卽位式大典記念事業下士集會所庭園竣工之日 大正五年五月五日立石」と刻まれています。これにより、大正天皇の即位記念として下士集会所が建てられ、その庭園が竣工した日にこの碑が建てられたということがわかります。
碑の背面の下部には小さな文字で、「石工 横濱市 東條作松 茨城縣 中庭〇兵衛」と刻まれています。
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