(あしあと その262・白石区の12・菊水上町の1)
国道12号を白石中央から市内方向に進むと、かつて旧JR千歳線を越えて走っていた跨線橋があります。この跨線橋を渡り切ったところで右手の小道に入ると、そこに児童用の遊具が並ぶ白石公園が広がっていて、その角に「白石歴しるべ」の説明板が建てられています。
説明板には、一見してちょっとわかりにくいですが、「「両白石村縮図」(明治25年頃作成)と現在の地図を重ね合わせたもの。一軒あたりの面積の広さがわかる」と記された地図と、「白石村1番」と題された説明書きがあり、それには
「白石開拓の第一歩は、旧暦明治4年11月(新暦の12月)、旧仙台藩白石城主片倉小十郎の元家来とその家族が、家老佐藤孝郷に率いられて、この地に開拓のクワを振るったのに始まる。
原始林を切り開き、幅18㍍、長さ3,600㍍の道路(現在の国道12号)を造り、この道路を挟んで、道路の右と左にそれぞれ1番から50番までの番号をつけて土地割りをした。厳しい寒さの中、翌5年2月までに100戸の小屋がけを完了し、この年に左右の番号をひとまとめにして1番から100番に変えた。
土地割りの起点となった1番はこの標示板よりやや東側にあたり、100番は白石神社の西隣にある。」
と記されています。
現在の白石公園から白石神社までの約3.6キロメートルを、慣れない道具を使って切り開いた先人の苦労は、想像するに余りあります。
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