(あしあと その298・豊平区の42・平岸の13)
平園公園の一角に並んだ最後の碑は、「沼田砲兵軍曹忠霊碑」です。先に紹介した「故重延卯平翁之碑」と「馬頭観世音」碑の二基には、碑の前に説明板が建てられていますが、この碑にはいわれを説明するものはありません。
碑は札幌軟石でできた台座の上に建てられた立派なもので、碑面の上部には篆書体で「沼田砲兵軍曹忠霊碑」と刻まれ、その下に細かな文字で漢文が刻まれています。その碑文は長文で判読が困難ですが、明治15年かつて東裏と呼ばれていたこの地区で初めて生まれた沼田安太郎が、19歳の時に日露戦争に出征した第1号の青年であり、そして遠くロシアの地において22歳で戦死したことが刻まれています。
碑の背面には、
「故陸軍軍曹松本喜市二十三才 昭和二十年五月五日首里戦死
故陸軍兵長佐藤栄吉二十五才 昭和十九年十月二十一日メレヨン島戦死
昭和五十三年十一月二十日合祀ス 東裏親交会々長 重延 実」
と刻まれています。これは、当初現在の平岸4条6丁目の水田の中に建てられていたこれらの碑を、昭和53年に現在地に移設した際に、東裏出身の大戦の戦死者を合祀したものです。
碑の台座には、「寄附人」として重延卯平を筆頭に22人の氏名が刻まれていますが、その中には豊平町の発展に尽力した阿部仁太郎の名前も見えます。
毎年7月5日には、ここに並ぶ碑の前で、田植えの終了を祝う「さなぶり」と呼ばれる慰霊祭が行われるそうです。
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