「札幌石炭坑爆発予防試験所跡地」。

(あしあと その396・白石区の23・平和通の3)

「連隊通」の説明板が立てられた場所から、JR白石駅方向に向かったところにある商業施設の交差点角に説明板が立てられています。それは、この一角が「札幌石炭坑爆発予防試験所跡地」であることを示しています。

説明板には、「札幌石炭坑爆発予防試験所 昭和30年頃の様子」と題された白黒写真の右側に、次のような説明が記されています。

「札幌石炭坑爆発予防試験所跡地

明治から昭和30年代に至るまで石炭は燃料の主役で、わが国の石炭埋蔵量の50%を占める北海道は産炭地として大いに注目されていた。しかし採掘が深部に達し坑道が複雑になるとガス爆発や炭じん爆発が相次ぎ、北海道にも爆発予防に関する研究施設の設立が望まれていた。

昭和13年(1938)10月、商工省直轄の試験研究機関として「札幌石炭坑爆発予防試験所」という機構が設立された。そして爆発試験の影響、交通の便等を考慮し、白石村のこの地に敷地を決定し、昭和14年(1939)4月に着工、同年10月研究庁舎及び付帯設備が完成した。試験所は山林や畑に囲まれていたが、爆発試験による音響は遠く離れた民家でも聞こえた。

戦後は、戦時中の乱掘による炭坑の荒廃、石油の普及による石炭市場の縮小などの変化に伴い、「北海道炭鉱保安技術研究所」など数度にわたる変遷を経て「北海道石炭鉱山技術試験センター」となり、平成14年(2002)まで鉱山保安のほか、メタン資源の開発・利用技術などの新しい研究にも取り組んでいた。」

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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