(あしあと その401・白石区の28・平和通の6)
平和通の住宅地の一角、JRの沿線に広がる白石本通墓地。ここに建てられた説明板によると、墓地内に珍しい形状をした墓石が残されています。
それが、焼き物でできた土管型の墓石です。作られたのは大正期に入ってからですが、当時愛知県から入植した瓦職人である野田荒吉が、その特技を生かして焼き物の墓石を作り、そのいくつかが現在も大切に保存されています。
墓地の一角に立てられた説明板には、左側に「『焼き物』の墓『土管の墓』とよばれている」と題された白黒写真と、その右側に、次のような説明が記されています。
「白石本通墓地
白石中央墓地(現平和通1丁目南2一帯)が、明治5年(1872)に設置されていたが、白石村の東側に居住する人びとから「近い場所に」との要望が強く、白石村では明治5年10月、開拓使に懇願した。
しかし、開拓使は「一村一ヵ所タルヘキ事」として却下している。
そのため、白石本通墓地の開設年は明確でないが、明治13年頃と関係書類には記録され正式に許可を受けたのは明治35年(1902)4月であった。
当時の墓石は、一般的には石山軟石(溶結凝灰岩)であったが、この墓地の特徴として、戒名・死亡年月日などを彫り込んだ粘土の素焼きに、上薬をかけて焼き上げた茶色い土管型や角柱型の墓も散見されたが、現存するのは土管型数個のみである。
隣接地にキリスト教徒の墓地がみられるが、この墓地は昭和7年(1932)日本札幌教区天主教宣教師社団が土地を購入、白石村に寄付し信者の埋葬地としたものである。」
白石中央墓地は、現在は里塚霊園に改葬されており、そのあとにも石碑が残されています。
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