「戦没者顕彰碑」。

(あしあと その424・北区の38・屯田の7)

屯田開拓顕彰広場にある2つ目の碑が、「戦没者顕彰碑」です。白御影石でできた台座に同じく白御影石の碑が置かれ、中央上部には黒御影石の球が置かれています。碑面には、「戦没者顕彰碑 札幌市長 板垣武四 書」と刻まれています。

碑の背面には、「日露戦争戦没者」の11人と、「満州支那事変太平洋戦争戦没者」の20人の氏名が刻まれています。

碑の台座の正面には、

「碑文

屯田開基一〇〇年を迎え 今日の発展の基礎を築いたのは 屯田兵が北辺防衛の第一線を守り 開墾を進めるなか 明治三十七年二月十日 対露宣戰の大詔発せられ 屯田兵に動員令が下り 屯田兵の大半が召集され 部隊は第二十五連隊と第二十八連隊 後備野戰補充隊で満州国に出征 旅順包囲作戰に参戰し 乃木大將指揮下の 第三軍に編入 二〇三高地の攻防戰や遼陽奉天大会戰に参加し 戰火に斃れたのは十一名である

昭和時代に再度戰争狀態に入る

昭和六年九月満州事変勃発する 昭和十二年七月蘆溝橋爆破により 支那事変となる 昭和十六年十二月八日太平洋戰争に突入する この間長きに亘り 現役兵 召集兵として 共に満州支那大陸南方諸島海域 沖縄 中部太平洋海域 北方海域千島列島 樺太の各所に転戰 かずかずの嚇々たる武勲戰果を挙げしも国力尽きて 昭和二十年八月十五日終戰を迎えた この戰争に出征した 諸兵は 陸軍 海軍 空軍に一四一名が参戰し 戰火に斃れた勇士は二十名である

諸兵出征に当り 部落民挙げて江南神社に武運長久を祈願し諸兵の誓いの言葉は 郷土日本の隆昌と世界平和の確立のため一身を捧げると誓いて出征せり

この精神によって今日の世界平和が確立され 日本の隆昌を迎えたのである

屯田開基一〇〇年記念の年にあたり 戰没者の偉大なる精神を顕彰するため この碑を建立して 永くその功績を讃える

昭和六十三年七月十五日 屯田開基一〇〇年記念協賛会 特別事業委員会 屯田遺族後援会」

と刻まれています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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