(あしあと その437・豊平区の56・豊平の9)
国道36号の豊平川に架かる豊平橋。札幌の都市が広く開拓されるまで、この両岸に設けられた渡船場でそれぞれ一人ずつ渡し守がついていました。人や物資を運ぶその役割が舟から橋に託されるようになり、今の豊平橋の姿になりました。この国道沿いの豊平区側の一角に、「豊平橋小史」の説明板が立てられています。
説明板には、「北海道三大名橋の一と言われた先代の豊平橋」と題されたイラストが添えられており、それに以下の説明文が記されています。
「豊平橋小史
現在、札幌市は、およ(そ)百九十万人が暮らす全国有数の大都市となったが、今日の隆盛には、豊平川に架けられた豊平橋が重要な役割を果たした。豊平橋は、札幌の母なる川、豊平川に架けられた初めての本格的な橋であり、初代の豊平橋は、苫小牧、千歳方面から開府が始まった札幌へ、そして、小樽方面への道を結ぶ札幌越新道の札幌への東口であった。
明治四年(一八七一)最初の木橋完成。約一ヶ月半で洪水により流失。
明治八年(一八七五)当時の最新技術によるハウトラス洋式木橋完成(N・W・ホルト設計)明治十年に洪水により破損。
明治十一年(一八九八)前年の洪水流失を再建。(P・W・ホイラー設計)
明治三十一年(一八九八)ブラット式一部鉄橋完成。(道庁の岡崎文吉設計)
明治四十二年(一九〇九)市史上最大の洪水で、東橋のほか創成川の全橋も流失。豊平橋も一部橋脚が破壊、同年六月の大洪水で全壊。以後、仮橋時代が続く。
大正十三年(一九二四)タイドアーチ型鉄橋が完成。(道庁の山口敬介設計)市電も走るその姿の美しさで多くの人々に愛され長く道央圏の交通の要衝を担った。
昭和四十一年十一月一日(一九六六)現在の橋が完成。
安政四年(一八五七)、志村鉄一が石狩役所調役の荒井金助より豊平川の渡し守・通行屋守に任命されてから、百五十年の年に、豊平川の小史を記した。
平成十九年(二〇〇七)十一月吉日」
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