「新琴似屯田兵中隊本部」。

(あしあと その518・北区の55・新琴似神社の6)

新琴似神社の駐車場の奥、社殿に並んで古い木造の建物が残されています。

この建物は、かつての「新琴似屯田兵中隊本部」の建物であり、現在は資料館として一般公開されています。

建物の前に立てられた説明板には、次のように記されています。

「札幌市有形文化財 新琴似屯田兵中隊本部

この建物は、明治20年九州各地の士族146戸の入植(翌21年に74戸を補充)により発足した新琴似兵村(屯田兵第1大隊第3中隊)の本部として、明治19年に建てられました。

明治36年の屯田兵役解除後、新琴似兵村会の共有財産として引き継がれ、明治44年の兵村解散後は、新琴似屯田親交組合、新琴似兵村部落会、新琴似自治会、新琴似町内会、琴似産業組合、新琴似中学校仮教室、札幌市新琴似出張所等に使用されるなど、時代の変遷を経て昭和40年11月、札幌市に寄付されました。

その後、昭和43年度から昭和46年度にかけて、創建当初に復元するための改修工事が行われ、昭和49年4月20日には歴史的価値が高く建築構造の上からも貴重な建造物として、札幌市有形文化財に指定されました。

建物の構造は、木造、小屋裏部屋付平家建で、全体の形は素朴でおおらかさがあり、玄関出入口、窓回り等の細部、小屋組などに当時流行した洋風木造建築の特徴を良く残しています。

現在札幌市では、新琴似屯田兵中隊本部保存会の協力を得て建物を保存管理しています。

札幌市」

説明板に向かって左側には北区で設置した金属板が立てられており、上記の記事を掲載した当時は、「新琴似屯田兵中隊本部」と題され「室内の展示品」の説明が記された館内の白黒写真が掲示されています。

当初、この地に入植した屯田兵は、福岡、熊本、佐賀、鹿児島の九州地方と岡山県の出身者によるものであり、その後、福岡、大分、佐賀の九州地方と島根、岡山の中国地方及び徳島の各県からの出身者によります。新天地を求めて西日本の各地から渡道してきた人たちの努力により、泥炭地であった新琴似の地の開拓が進められました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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