「合祀碑」。

(あしあと その558・厚別区の14・厚別の9)

信濃神社の鳥居脇に建つ「忠魂碑」に並んで建つのが「合祀碑」です。

碑面上部に「合祀碑」と浮き彫りがされていて、その下には333人の氏名が刻まれています

碑の背面には次のように刻まれています。

「昭和二十年八月十五日におわりを告げた太平洋戦争は我が国にとって建国以来最も悲惨であり極めて重大な敗戦をもたらせた呪うべき戦であってこのため我が旧白石村(白石町厚別町上白石町)から動員された数多くの軍人軍属又は学徒動員は祖国のため陸に海に空に酷寒灼熱を克服し砲煙弾雨の中に悪戦苦闘して遂に多数の戦傷死者を出したことは誠に痛恨哀惜の極みであり吾々国民の永久忘れることの出来ない重大な事実である しかも終戦後公表された三百九柱の英霊は今だに忠魂碑に合祀されることもなく時の経過と共に漸次国民の脳裏から薄らぎ去ることも懸念される次第である 茲に於て当彰徳会が主体となってこれらの英霊を合祀すべく全地区住民組織に求めたところ協賛を得たので建設委員百有余名は相協力して住民より浄財を募り即ち一金拾壱万円也をもってこの合祀碑を建設して永久に祖国のため散華した英霊を慰め以って国運の発展を祈るものである

昭和三十年九月十四日 札幌市白石彰徳會」

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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