「満州戰役紀念碑」。

(あしあと その580・豊平区の68・豊平神社の4)

豊平神社の境内の最奥に、二基の石碑がひっそりと建てられています。

その一つが「満州戰役紀念碑」です。自然石でできた石碑の碑面には、その上部に「満州戰役紀念碑」と篆刻されていますが、その下に刻まれた文字は風化して判読しにくくなっています。

目立たない場所に置かれたこの碑は、明治39年に有志の手によって建立されました。当時の月寒に第7師団歩兵第25連隊が駐屯しており、明治37年から38年にかけて開かれた日露戦争のさなか、乃木大将率いる第三軍に編成されて旅順に出征しましたが、激しい攻防戦が繰り広げられた203高地の激戦において、旧豊平村出身の若き兵士が7、8人命を落としたと伝えられています。

碑面に刻まれた一部の文字は、風化によるだけではなく故意に削られたものもあるそうですが、その後の大戦などにおける世論の変遷が影響しているのでしょうか。

各資料では、「満州戦没紀念碑」と紹介されていますが、碑面の篆刻からみて「没」ではなく「役」であるのではないかと思われるので、「満州戰役紀念碑」としました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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