「阿部仁太郎之碑」。

(あしあと その581・豊平区の69・豊平神社の5)

豊平神社の境内の最奥に建てられた石碑が、豊平区内の最古の碑と言われる「阿部仁太郎之碑」です。資料によっては「阿部仁太郎功労碑」とも呼ばれています。

自然石できた碑の碑面には、篆刻の四文字が浮き彫りにされたその下に碑文が刻まれていますが、風化して判読が難しくなっています。明治32年に建立されたこの碑は、阿部氏が前年に藍綬褒章を受章した記念に有志によって建てられたものだそうです。

阿部仁太郎(にたろう)氏は、豊平一円の開拓に当たって大きな功績を残した人物です。氏は、豊平の開鑿に当たって用水路の必要性を説き、豊平から白石の広範にわたって聯合用水路を完成させました。また、氏が当時の経王寺の境内に開いた保育所は、現在の豊平小学校の前身になるなど、豊平の発展に当たって大きな業績を残し、滝野神社の境内に建てられた開拓紀念碑にもその功績が記録されいます。

碑文は、資料によると

「傳曰一家仁一國與仁此言予於阿部仁太郎見之仁太郎起寒徴為間中石族美跡善行可記者多矣事違天閣辱藍綬褒章以表之於是豊平白石平岸月寒村民與仁太郎善行是謀建石傳不朽来請文呼風俗澆季今日為甚而率金為此擧非閭里感孚之深安能至此也其関千風教也大矣於是手記

明治丗二年七月三日 松田壽三郎書 正三位候爵菊亭脩季篆額撰文」

と刻まれているようです。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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