「長浜万蔵翁」像。

(あしあと その773・白石区の49・本郷通の2)

本郷通の両側に商店街が連なり、その一角の歩道に台座に置かれたブロンズ製の胸像があります。これは本郷通一帯の開発に貢献した「長浜万蔵翁」像です。白御影でできた台座の正面には、「長浜万蔵翁 高田富與書」と刻まれた黒御影の石板がはめ込まれています。

台座の背面には、次のように刻まれた黒御影の石板がはめ込まれています。

「本郷町開町記念長浜万藏氏胸像之碑文

長浜万藏氏は明治廿九年白石に生る青年時代より開拓の精神に富み家業を継ぎ酪農業を営む人格高潔社会公共に奉仕するの念篤く村議会議員農業協同組合長消防団長民生委員等の公職を歴任し地方自治の進展に貢献す戦後札幌市の急激な膨張により宅地難緩和に寄與すべく之が解決と札幌市発展のために時の札幌統制電話中継所々長佐々木良郎札幌市役所白石区出張所長文字秀太郎両氏と図り左の地主を統合その協力を得て一望の農地を市長高田富與氏より本郷の地名を受け大住宅街たらしめんとし昭和丗一年五月区画整理事業の礎石を置けり今や白石町全域に亘る飛躍的発展は実に本郷地区の開発を以てその端緒を爲たるものと云ふべく茲に開町十周年迎ふるに当り同志相図り氏の胸像を建立しその恩恵を感謝し永く偉業を伝へんとするものなり。」

台座の左側面には、「地主」として17名の氏名が刻まれています。

台座の右側面には、「昭和四十年七月十一日建立 建立者 同志一同」に続き、「製作者」と「施工」の2名の氏名が刻まれています。

長浜万蔵氏は昭和30年当時町内会長を務めており、統制電話中継所所長として着任した佐々木良郎氏らと図って、「東京の新宿のような繁華街」を作ろうと地主に働きかけ、安い価格で土地を譲り受けて広大な住宅地と本郷通の商店街を作り上げました。

胸像は、氏の功績を讃えて寄附が募られ、計画道路の中心点に第1号のくいを打ち込んだ地点に建てられました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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