「佐藤孝郷顕彰碑」。

(あしあと その774・白石区の50・本通の9)

本通1丁目北にある札幌市立白石小学校は、明治5年に善俗堂と呼ばれた寺子屋式の学校が前身になります。その校地内の一角に、「佐藤孝郷顕彰碑」が置かれています。

碑の上面にはめ込まれた黒御影の石板には、左隅に白黒の肖像写真が掲げられていて、次のような碑文が刻まれています。

「佐藤孝郷顕彰碑

私たちのまち白石区の前身である白石村は、戊辰戦争に敗れて北海道に移住した仙台藩白石領(現在の宮城県白石市)片倉家の家臣たちによって、明治四(一八七一)年、初めて開拓の鍬が下されました。

この人々を統率したのが、開拓使貫属取締となった二十一歳の佐藤孝郷です。

孝郷は、嘉永三(一八五〇)年、片倉家の家老の家に生まれました。敗戦によって路頭に迷うこととなった白石領の人々は、乗船した咸臨丸の座礁、厳寒の中での小屋作り、原始林の開墾など言語に絶する幾多の苦難を乗り越えて最月寒の地に入植を果たし、現在の白石区の礎を築いたのです。明治五(一八七二)年には、厳しい生活の中にもかかわらず、後に白石小学校となる善俗堂学問所を開き、教育にも力を注ぎました。

孝郷は大正十一(一九二二)年、東京で生涯を終え、今は故郷の地宮城県白石市に眠っています。」

碑の背面には、

「今日の白石区の発展は、仙台藩白石領の人々を初めとした先人たちの労苦の賜物である。

この碑は、白石開拓の歴史を後世に伝承するとともに、人情味にあふれる地域づくりと心豊かな青少年の育成を願い、白石区ふるさと会設立三十年を記念して建立するものである。

平成十七年七月 白石区ふるさと会 白石の歴史を語る会 白石区」

と刻まれた黒御影の石板がはめ込まれています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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