(あしあと その784・札幌近郊の3)
伊達市長和町の国道453号沿いに「東本願寺街道起点」の碑があります。長和町はかつて尾去別(おさるべつ)と称された地域で、明治3年から翌4年にかけて、この地を起点として中山峠を経由し札幌に至る東本願寺街道が切り開かれました。
石碑は、国道37号から国道453号に分岐して300メートルほど進んだ脇道との分岐点に建てられており、自然石の台座の上に大きな石板が載せられています。碑面には大きく「東本願寺街道起点」と刻まれています。
碑の背面には、
「この街道は明治三年から同四年にわたり京都東本願寺新門主・大谷光瑩(現如)と一門の僧侶等百六十二人が伊達邦成を中心とした開拓者達の協力を得て有珠郡尾去別(伊達市長和町)から札幌平岸までの二十六里余の新道を開いたもので、その功績を永く伝えるためにこの碑を建立する
平成三年十一月 建立 伊達郷土史研究会」
と刻まれており、その下に
「後援 伊達市 協力 長和歴史保存会 皆遵寺 善光寺 興禅寺 大雄寺 光圓寺 不動寺 紋鼈寺 妙栄寺 伊達神社 土地提供者 荒川〇殿 碑文 鈴木恵一書 施工 小松倉石材店」
と刻まれています。
東本願寺の現如上人率いる僧侶が中心となって開削された東本願寺街道は、地元のアイヌ人たちの協力を得ながら札幌市豊平区平岸に至るまでの約100キロメートルにも及ぶ道路の開削を行ないました。期間は明治3年7月から翌4年10月までの1年3か月あまりですが、冬期間は工事が進まないことを考えれば、実質半年強という超突貫工事でした。しかしながら、明治6年には室蘭街道が開通したことにより、東本願寺街道は通行人が減少の一途をたどり廃れてしまいました。
0コメント