「龍松寺の石碑群」。

(あしあと その889・豊平区の109・豊平の18)

国道36号に面した龍松寺の山門を背に寺社殿に向かって右手に、数基の石碑が並んで置かれています。

向かって一番右側に置かれているのは自然石でできた石碑で、碑面に「寶鏡印墖」と刻まれています。「墖」は「塔」の異体字になります。

この碑の背面には、「爲先祖代々菩提 田口友太 明治三拾二年八月五日築〇」と刻まれています。

二番目に置かれている石碑は、碑面に「有縁無縁三界之萬霊供養塔」と刻まれたものです。「三界」とは、仏教用語で「一切の衆生が生死流転する迷いの世界」を意味する言葉です。

碑の左側面には「昭和十二年九月十五日 三浦(以下不明)」と刻まれています。

石碑群の左側の三基は奥まった塀沿いに並んで置かれています。

向かって右側の石碑は仏像です。背面に「大正十五年十月廿日亡 輝松院孝仁満風居士 小林孝二 建之」と刻まれています。

中央に位置するのも石仏ですが、僧侶の姿を模ったように見えます。

一番左側に置かれているのは菩薩像です。光背の裏側には、

「昭和十年七月三日 俗名 金子隣蔵 五十九才

爲 徳海有隣信士 徳室妙光信女 菩提

昭和三十四年四月十四日 俗名 山岸ひな 七十三才

昭和十一年七月三日 金子ヒナ 建之」

と刻まれています。

この菩薩像を建てた山岸ひな女と金子ヒナ女が同一人物だとすれば、金子隣蔵氏が亡くなった当時は49歳で、隣蔵氏の一周忌にこの菩薩像を建てたことになります。山岸ひな女の日付と名前、年齢は、文字の彫り具合や字体から見ても、昭和34年の山岸ひな女の没後に追記されたものと分かりますが、それでは中央の左側に刻まれた女性の戒名は誰のものなのか。ちょっと気になるところです。






「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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