「野呂榮太郎 塩澤富美子 記念の樹」碑。

(あしあと その894・豊平区の114・旭町の4)

北海高校の校舎南側の敷地内に、御影石でできた小さな石碑が置かれています。この碑は、「野呂榮太郎 塩澤富美子 記念の樹」碑です。

その碑面には、「野呂榮太郎 塩澤富美子 記念の樹 1992年7月11日」と刻まれています。

野呂榮太郎は、明治33年(1900年)に長沼町に生まれ、小学校2年の時に負傷が悪化して右足を失ったため、公立の学校に進学することがかなわず私立の旧制北海中学に入学し、卒業後は慶應義塾大学に進学しました。大学ではマルクスの「資本論」に啓蒙され、その後日本共産党に入党して中央委員長を務めましたが、党活動の弾圧が強まる中、スパイの手引きによって検挙され、官憲の拷問を受けた後に持病の肺結核が悪化して死亡しました。野呂と結婚した塩澤富美子は、妊娠中に逮捕されて釈放後に女児を出産しましたが、子供は夭折しました。絶望の淵から這い上がった富美子は、医学の道に進みました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000